ひとりごとのように

独身女が趣味で好きなことを書いてます。

新しい靴で水たまりに飛び込む

 

散歩をしていました。

近くにお母さんと手を繋いだ3歳くらいの男の子が歩いていました。

 

少し雨が降っていました。

 

子供は雨でも楽しそうです。

繋いだ手を離さずにあっちこっちにお母さんを引っ張っていました。

傘をさしながら歩くお母さん。

「雨が降っているからね、動くと濡れちゃうでしょう。ちゃんと手を繋いで近くにいてください」

注意しながらも顔がにこやか。すごく楽しそうです。

男の子は雨に濡れようがお構いなしです。今度は水たまりにジャンプ。

「あっ!だめだめ!いけません」

さすがにお母さん声が大きくなりました。

「お靴、昨日洗ったばかりなんだよー。」

男の子は「みずたまり〜」と笑顔でお母さんを見上げます。

そんな無邪気な我が子にお母さん「もうっ」と言いながらも微笑んでいました。

 

横断歩道で信号待ちをしていると、その親子もやってきました。

もうすぐ青に変わります。

車道にはパトカーが止まっていました。

「あー!パトカー」

男の子が言いました。

「そうだね、本物のパトカーだね」

きっと本やテレビで見て覚えていたのでしょう。目の前で本物のパトカーを見て釘付けの男の子。

信号は青になりました。

でも男の子はちっとも歩こうとしません。

じーっとパトカーを見て何か喋っています。

お母さんに向かって言ってるのか、パトカーに向かって言っているのか。どちらにしても聞き取れませんでした。

 

渡り終わって後ろを振り返ると、まだ男の子は横断歩道を渡っていませんでした。今度は近くの縁石の上に立ってパトカーを見つめていました。

お母さんは手を繋いだまま、ずっと男の子のそばにいました。

「行くよ」なんて言わず、子供が満足するまで付き合っていました。

 

 

 

雨が降っても「めんどくさいなぁ」「やだなぁ」なんて思いません。

雨に濡れることが嫌だなんて思いません。

洗ったばかりの靴だろうが関係ありません。

興味がある物はずっと見ていたいのです。

 

 

最近、友達の子供(女の子)が誕生日を迎えました。

友達が娘に「誕生日おめでとう。4歳になったね。どんな気分?」と聞きました。

「あのねー、今日鉄棒でくるってできたんだよー」

答えになってません。

そのあと、

「パパの顔にお水びしゃー!」と言いながら水をかけて笑ってました。

 

誕生日だろうが、関係ないのです。

その時思ったこと、やりたいことをやるのです。

 

子供には損得がありません。

自分の心の反応のまま生きています。

 

わたしもそんな心を忘れたくないのです。

忘れかけた頃、こうして子供たちはわたしのハート目掛けて素敵な行動を見せてくれるのです。

 

そんな姿を見てると、わたしはとても気分が良くなります。とても穏やかな気持ちに戻れます。

 

わたしは「お母さん」ではないから、わからないこともたくさんあるけど(育児の大変さとかね)、こんなことが日常的に起こってるなんて思ったら毎日いろんなことに気づけそうだなと思いました。

 

 

「あんたは手がかからなかった」と母によく言われます。

 

てことは、ねぇ神様。わたしはこの先、思う存分心のまま生きていいということですね。

 

これからはノーブラで近所歩いてもいいですよね。

 

わたしは縛られたくないのです。