ひとりごとのように

独身女が趣味で好きなことを書いてます。

「好き」の中の。

 

結婚相手に、自分の親のような人を求める人がいる。

意識せずとも、理想のパートナーが「両親」になってることがあるようだ。

 

わたしの友人も、「父親のことが嫌い。苦手。」と言っていたが、理想の結婚相手を聞いてみると、それはまさに彼女の父親のような人、ということがあった。

 

わたしは、この現象を不思議だなぁと感じていた。

 

なぜ「嫌い」なのに求めてしまうのか。

好きと嫌いは紙一重、という言葉があるが、身近な存在だからこそ、そうなるのだろうか。

 

 

 

先日、別の友人とご飯を食べていた時、「姪っ子が口が達者で可愛げがない。本当にイライラする」と言っていた。その後もいくつか例に挙げ、愚痴をこぼし続けた。

そして友人は「明日姪っ子がうちに遊びにくるんだけど、本当嫌だ」とため息をついた。その表情を見ていたら、なんだか気の毒に思った。

 

 

 

しかし、この後わたしは不思議な現象を目にするのだ。

 

 

とある雑貨屋でのこと。

鬼滅の刃グッズの前で友人が急に立ち止まった。

そしてこう言ったのだ。 

 

「これ、姪っ子に買っていってあげよっかな」

 

 

え?????

 

わたしはとても驚いた。

そして、なるほどそういうことかと思った。

 

好きなんだ。本当は姪っ子のこと好きなんだ。

「好き」の中の「ムカつく」なんだ。

「好き」の中の「嫌だ」なんだ。

なんだ。なーんだ。

 

好きじゃん。本当は好きなんじゃん。

好きなんじゃ〜〜〜〜ん!!

 

 

姪っ子の愚痴を言っていた時の友人の顔は確かに険しかったし、怒りの温度を感じた。でもそれは100%の嫌悪ではなかったのだ。

 

やはり、なんだかんだ可愛いのだろう。

 

姪っ子が好きだというキャラクターを指差して「これが好きらしいんだよね」という友人に、「ねぇ、なんだかんだ姪っ子ちゃんのこと好きじゃん♡」とイジってみたら「いやいや…好きか嫌いかって聞かれると…わかんない」と、まるで恋する乙女のような表情をしていた。

 

 

 

「好き」も「嫌い」も「イライラ」も「よくわかんない」も全部、その人のことが心にいるから起きるんだ。

その人の存在を、自分の人生に受け入れているから。許可してるから感情が生まれるんだ。

 

 

 

わたしは好き嫌いがハッキリしている方だと思う。

直接「好きです」「嫌いです」とは言わないが、好きな場合はニコニコして相手を全肯定するし、嫌いな場合はそっと立ち去る。

嫌いな人と関わる時間は極力減らすようにしている。

 

 

だから「嫌だと言いつつも実は好き」なパターンの友人に驚いたわけだ。

 

 

自分の周りには似たような人間が集まるというが、とはいえ、一人一人感性の違いや表現の違いはある。

 

人間ってやっぱりオモロイなと思った日だった。

 

 

ちなみにわたしの理想の結婚相手は「素直で怒らなくて笑顔が可愛い人」だ。

 

これは全てわたしに無いものだ。

自分に無いものを持ってる人に惹かれる。

皆さんはどうだろうか。

今のパートナーのどこに一番惹かれたのか?

なぜ結婚を決めたのか?等、そんな話を聞いて「人間ってオモロイな」ってたくさん思いたい。